【一号店シリーズ】 マイカル 大阪 千林

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【一号店シリーズ】 マイカル 大阪 千林
大阪府大阪市旭区千林2-51-2

千林には「主婦の店・ダイエー薬局跡」だけでなく「マイカル(旧・ニチイ)」発祥の地があります。
画像左に見える千林公園の前で建設中のマンション「ブランビオ千林」がその場所です。マンションのHPで場所がビジュアルにわかります。
店舗は消えましたが、住民は増えるので地元商店街にとっては歓迎すべき状況なのかもしれませんね。

マイカルの母体であるニチイは天満橋の衣料スーパー「セルフハトヤ」と千林の「赤のれん(岡本商店)」、ヤマト小林商店、エルピスの4社が合併して設立されたので厳密には「発祥地の一つ」ということになります。
ニチイ(日本は一つの意味)は1963年に設立され、社長には「セルフハトヤ」の西端行雄が就任しています。

千林の「赤のれん(岡本商店)」は岡本常男氏が創業した店で、シベリア抑留を経て1952年にオープン。ひっくり返した段ボール箱に肌着や靴下を並べて売ったそうです。
千林では合併によりニチイとなってからも衣料品スーパーとして2002年2月まで営業を続けていました(最後は千林サティの名称)。

ニチイはその後、

1974年:大証第2部上場
1976年:東京、大阪証1部上場
1982年:ビブレ1号店福岡市に開業
1984年:サティ1号店を奈良市に開業
1989年:横浜市に「マイカル本牧」開業。
1990年:総合スーパー(GMS)のニチイをサティ、ビブレへと転換開始
1996年:社名をマイカルに変更
1999年:「マイカル小樽」オープン。
2001年:子会社のスポーツクラブのピープル(現・コナミスポーツ)をコナミへ、クレジットのマイカルカード(現・ポケットカード)を三洋信販へ売却。
     9月14日に民事再生法を申請。のちイオン株式会社をスポンサーとすることを決定し、会社更生法を申請。
2003年11月29日:イオン株式会社の完全子会社化。
・・・・・という激変を遂げています。

マイカルは2001年9月14日にメインバンクであった第一勧業銀行(当時)から金融支援の打ち切りを宣告され、経営破綻が確実となりました。そこで第一勧業銀行と当時の四方修社長は、同じく第一勧業銀行をメインバンクとするイオンを支援先として会社更生法による再建を画策しましたが取締役が反発。経営陣が残り比較的早く再建が果たせる民事再生法による再建を主張し、四方社長と第一勧業銀行出身の取締役を取締役会で解任し、山下幸三が社長に就任し、同日民事再生法の適用を申請したというすごい展開でした。
しかしメインバンクの支援を受けられないままの再建は苦しく、また支援企業選びも難航したこともあり。さらに一転しイオンが会社更生法下での支援を表明。民事再生手続きの中止と会社更生法の申請がなされました。

その後・・・
・マイカル北海道(現:ポスフール)はマイカルから独立して店名を社名同様「ポスフール」に
・ビブレは食品を扱う店舗のほとんどをサティへと転換。また、子会社のダックビブレが運営していた東北地方の店舗はマイカルから離れ、さくら野百貨店として再出発。
・ポロロッカは全店舗がマルエツへと売却。
など、実質解体作業に入っています。

破綻の原因には様々な要素がありますが、その一つは「資金繰り」です。
小売業の銀行等による借入金の限度となる目安は、通常は「月商の2ヶ月から3ヶ月くらい」といわれますが、「マイカル」の場合には、年商1兆7千200億円に対して、借入金も1兆1千500億円抱えていて、ほぼ年商(月商12ヶ月分)に近いものを持っていたこと。 つまり、ほとんど借入金の返済は不可能であったことが最大要因だったと思います。
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by ministopde | 2006-06-03 10:59 | 一号店(スーパー系)
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